院長の日記

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2011年10月21日(金)
目が回ります。
9月に入って、日本各地に行く機会がとても多い。講演と保存学会のために行っていた大阪から帰って、明日からはすぐに講演のために青森へ。体がとても疲れています。
2011年9月24日(土)
MacBook Air 購入
Windows派からMac派へ?!
次回から、講演会のプレゼンはこれを使用予定。遊び心がくすぐられ、とても面白い。
2011年9月25日(日)
佐々木則夫ナデシコ監督トークショー
佐々木則夫監督のトークショーを聞くことができた。ナデシコが世界一になる前から決まっていた日程とかで、とてもラッキー。企画した方に感謝。さすがに満員御礼で、たくさんの方が断られたとのこと。
とても頭の切れる対談で、すぐに時間が経過した。対戦のあやや選手の話など、とても面白かった。女子の上司として、とても参考になる。
2011年9月11日(日)
熊谷崇先生講演会
熊谷崇先生の同窓会最後の講演会。参加希望者が多すぎて、多くの方が参加できなかった。最近は、「熊谷先生を語らずして歯科を語るなかれ。」との雰囲気があり。
2011年9月4日(日)
接着学会シンポジウム
鹿児島で接着学会シンポジウム。タイトルは、「メタル?メタルフリー?それが問題だ」。金属の値段が高騰している昨今に、タイムリーなトピックだった。コメンテーターとして、コメントさせていただく。
2011年8月19日(金)
Chulalongkorn University

「Downsizing caries treatment to prolong tooth life」と題する講演を、Chulalongkorn University (バンコク)で行う。日本から来た人間として、まず震災の被害状況の説明とタイからの義援金に対する謝意を述べる。その際、「がれき」という英単語が浮かばない。使ったことがないのでしょうがないが、早速調べる。rubble あるいはdebris、rubbledebris で良いらしい。タイの皆様から、暖かい拍手をいただく。

2011年7月22日(金)
フクシマについての勉強

野口邦和先生の放射線被曝についての講演を拝聴する。テレビで見かけるように、落ち着いた口調で歯切れがよい。もやっとしていたところが、クリアとなってきた。
現在の東京は全く問題ない線量であること、原子力発電やセシウムの話、ウシの放射線測定とその問題点、等々、話題は尽きなかった。

2011年7月21日(木)
武内博朗先生

武内博朗先生(鶴見大学臨床教授)に、わざわざ医院までお越しいただいて講演、および実習指導をしていただく。武内先生のご講演をスタッフが拝聴しようとしたところ、すでに定員いっぱいとのこと。それならとお呼びした。
細菌から食育の話、さらにはメインテナンスの実習まで、スタッフ一同から感謝。
その後の懇親会でも、勉強は続く。

2011年7月18日(月)
女子ワールドカップ優勝

すごい!感動!
試合時間中の120分のうち100分は勝てないと思っていたが、とにかく粘り強い。あきらめない精神は、見本となるだろう。
2年前の男子ワールドカップでは、私は決勝戦のときにたまたまスペインに滞在していてスペイン優勝。今回の決勝の日は、日本にいて日本優勝。私が決勝のときにたまたま滞在していたところがワールドチャンピオンになるというジンクスが、、、。

2011年6月26日(日)
平泉

平泉の世界遺産登録が決定。とても、とても、うれしい。
昨年、平泉に行く機会があった。子供の頃に見た平泉と違い、規模は小さく感じた。しかし、そこには京都という大都会とは違う東北という田舎の歴史の重みがある。

2011年6月19日(日)
iPad 2

iPad 2を購入。今度は、白にした。従来製品よりも薄くて軽いが、これには有意差がありそう。

2011年5月31日(火)
誕生日

スタッフから、誕生日を祝ってもらう。突然の出来事で、ビックリ。

2011年5月25日(水)
ANAのJAL化

快晴の一日、ANA便で庄内空港へ。飛行機から見た鳥海山と庄内平野はは、本当にきれいだった。
しかし、今回のANAの対応は腑に落ちない。少しずつ思い上がり?

2011年5月12日(木)
山桜

ここは盛岡、山桜が満開。

2011年5月1日(日)
思い立ったら京都

大震災にうちひしがれてばかりではいられないと、急にChange of Paceを計画。「そうだ、京都へ行こう。」
いくつかの真言宗のお寺を参拝し、朱印帳に御朱印を授かる。その中でも、やはり東寺は別格。薬師如来、日光菩薩、月光菩薩に見入る。
ところで、IL GHIOTTONEのイタリアンはとても美味しく、雰囲気も最高だった。他のレストランとどこがどのように違うのか、分析してみたら面白いだろう。
Change of Paceに、大成功。

2011年4月23日(土)
二日連続新潟へ

昨日、新潟大学6年生に講義のあと夜の新幹線で帰る。そして、今日もKT教授の退官のお祝いのために日帰りで新潟へ。今週は盛岡、仙台と宿泊し、さすがに疲れる。

2011年4月16日(土)
ソウルへ

国際歯科接着学会のためにソウルへ。
飛行機から見た富士山は、震災前も震災後も気品高くそびえる。ソウルの満開の桜は、心を癒してくれる。

2011年4月11日(月)
大震災から1ヶ月

大震災から1ヶ月。「宮城県が2020年を目標に復興計画の基本方針、沿岸の原型復旧を断念」とのニュース。過去に例がない大震災だけに、新しい考えや新しい法律、計画が必要になる。基本的な未来図は政府がまず示し、それにあわせて法律や予算立てをして、それから各自治体がというロードマップが見えてこない。農業や漁業の悲惨さ、部品が不足しているための日本全体の製造業へ及ぼす影響、放射能に対する世界的な風評被害、等々は、再生の青写真があって初めて乗り越えられる課題と思う。中大兄皇子+織田信長+大久保利通+後藤新平+吉田茂=今求められる人、どこかにいないのだろうか。

2011年4月10日(日)
桜が満開

桜が満開。今年の桜はとても寂しく咲きほこり、はらはらと散っているように感じる。感じるだけだろうか。

2011年4月7日(木)
余震
盛岡から東京に戻ったところ、夜大きな余震。見通しがつかない。
盛岡へはまた羽田から花巻までのJAL臨時便だったが、この便ではいつもテレビで見たことのあるお顔が身近に乗っている。今回の盛岡への行きは、隣の席が民主党副代表のNOSM参議院議員だった。このような方とたまたま隣り合わせたことに驚く。何でも、知事と面会後に大船渡などの沿岸部に視察に行くとのこと。飛行中色々と話をすることができたが、このような大震災後の日本を、どのように導いてくれるのだろうか。このような大震災では前例や法律をひもとくのではなく、まずどのようのするのかの方針を決めて、それにあわせて特別立法をすればいいと思うのだが、余震と同様に見通しがつかない。話している間に、航空機の窓から遠くにフクシマの原発が見えた。
2011年4月5日(火)
放射能汚染水
フクシマで、放射能汚染水の海への放出開始。え〜〜、それって、本来はあり得ないことでしょ。マスコミもただ見守っているだけとは、みんなの放射能に関する感覚が、少しおかしくなってきているってこと!?。早速韓国から反発が出ているが、その反発が当然で、我々は麻痺しているのではないだろうか。
2011年3月31日(木)
年度末

JALの臨時便で、花巻空港から羽田へ。大震災での東北新幹線不通をうけてJALが臨時便を飛ばしてから約2週間と少し、その間羽田と花巻空港間を3往復した。さすがに、慣れる。花巻空港のレストランは今日から再開していたが、誘導路はまだ使用不能。羽田花巻便は、もし東北新幹線が開通したとしても、一日一往復は欲しいな。
盛岡では、震災直後はガソリンをはじめとした「物」がなくて大変だったが、ガソリンもようやく落ち着いてきたようで、開いているガソリンスタンドも増え、並ぶ列もなくなってきた。走っている車の数も、明らかに多くなっている。スーパーではトイレロールやティッシュぺーパーは豊富で、クッキーなども出回り始める。
今日は年度末。東京は桜も咲き始めているが、何も感慨なし。

2011年3月24日(木)
盛岡へ日帰り

盛岡へ日帰り。新幹線がいつ開通するか見当のつかない中、JALの臨時便はありがたい。しかし、羽田と花巻を結ぶ便はどれも満席で予約が取りにくい。

2011年3月20日(日)
盛岡へ

盛岡へ。JALの臨時便は、ありがたい。
とにかくガソリン不足。ガソリンスタンドは開いていないし、走っている車もほとんどない。夕方から、雨の予報。盛岡のスーパーでは野菜などはたくさん売っているが、保存食はない。

2011年3月18日(金)
プロ野球と避難所(東京ドーム)

プロ野球の開幕時期が、問題となっている。計画停電しているのに、ナイターなどもってのほかと考えるのが普通と思う。
避難所生活の長くなっている人たちの受け入れ先として、各都道府県が対策を考えている。古里から一時的になるかもしれないが離れるのはつらいだろうが、被災した地域での避難所生活よりは少しは快適だろう。東京でも、人工透析の必要な方などを受け入れているとのこと。しかし、もっと多くの人を受け入れられないものだろうか。
避難所受け入れ先は各地とも学校の体育館が多い。東京では、東京ドームで受け入れられないのだろうか。もちろん公共の建物ではないが、歴史上最大の自然災害の一つであることには違いなく、国民みんなが等しくがんばっていかなければならない。東京ドームでは、空調もあり、トイレもたくさんあり、人工芝で、シャワーまである。被災地に品物を届けた車両が、帰りに避難されている方々を東京ドームまで運べばいい。あくまで一時的な話だが、このような国難のときである。
まずできることは、とにかく節電。

2011年3月16日(水)
風評
福島原発は、今晩が一つの山の様子。福島の現場で、リスクや汚染という恐怖と戦いながら原発を冷やそうとしている東電の戦士に対して、ただ見守るのみで感謝の言葉もありません。
2011年3月15日(火)
ガソリン

各地でガソリン不足。燃料がなく、被災地に何も届かない。夜、静岡に強い地震。地震列島にならなければいいと思う。

2011年3月14日(月)
地震被害

なぜか、近所のスーパーが大変混んでいる。できることは買いだめではなく、節電。

2011年3月13日(日)
節電
恩師のONS先生から、地震を心配されてお電話をいただく。感激しました。
また、本日午後、ふるさとの盛岡の電気が復旧した。これで、心配が一つ減る。
テレビでは、原子力発電所の放射能漏れのニュース。漏れ出た量は、レントゲン撮影の際の被曝量よりも小さいと言っている。この福島の発電所では、命をかけて懸命に放射能漏れを食い止めようと仕事をしておられる方たちがいる。その恐怖たるやいかばかりかと思う。
地震のため、15日出発予定のサンディエゴでのIADR学会参加を見送ることにした。航空券、ホテル等をキャンセルする。地震のためということで、キャンセル料など日本航空はとても優しかったが、ユナイテッド航空は冷たい。
また、原子力発電所の事故等で節電の呼びかけ。早速、外灯などを消灯する。鷺宮の街では、Lawsonが早速看板の電気を消していた。本社の指示なのだろう。その他、ネオンが消えているところもある。しかし、auは昼間と思えるほどの明るさ。「世の中を読まないと、お客さんも来ませんよ」と忠告したくなる。
2011年3月12日(土)
地震、その後
被害の大きさが、だんだんとわかってきた。電話が、つながらない。
2011年3月11日(金)
大地震

スーパー大地震。

私は地震のときに上越新幹線車内にいて、もうすぐ長岡駅到着のときだった。アナウンスのあと急停車、新幹線が地震で大きく揺れている。2時間近く車内にいたが、車内のアナウンスは揺れが大きいことを刻々と告げる。PCのインターネットでは、東京で火災の写真。携帯電話は、全く通じなくなる。約2時間後にそろりと長岡駅に入る。目的地は新潟駅だが、すぐに下車して公衆電話で予定をキャンセルの連絡。そして、すぐにタクシーの運転手さんと東京までの運賃を相談。飛び乗って、東京の自宅まで帰る。途中、携帯電話で知り合いに連絡を取ろうとするが、なかなかつながらなく、とても心配と不安になる。高速道路は草津まで行けるが、その後は不通。一般道を行くと、高速道路から降りた車で大渋滞。前橋付近では街が停電していて、当然のように信号も消えている。一般道のコンビニは、どこも満員でおにぎりなど買えず、トイレにも長い行列。そうしている打ち、本庄児玉から高速道路が開通していることをスマートフォンで知り、高速道路へ移動。約10時間の後、自宅到着。タクシーの運転手さん、ありがとうございました。色々とお話も伺え、気分も和らぎました。
一瞬の決断だったが、正解だったと思う。

2011年3月4日(金)
入試インターネット問題

2日から3日と盛岡。そして今日は、午後から会議。
京都大学の入学試験問題がインターネットに投稿された事件が、新聞を賑わせている。投稿されていたことを知った京都大学がすぐに警察に訴えたことが発端だが、試験中に携帯電話を使ってカンニングしているところを現場の試験監督が見つけられずに、試験中の投稿を知ったあとで警察へ通報したことが騒ぎを大きくしたとも思う。もし京都大学が携帯電話の使用を試験中に見つけていれば、カンニングによるその受験生の受験資格なしで終わり、この事件が新聞の一面を飾ることもなかっただろう。
今回の事件は、大学入試に限らず、試験問題が容易にその試験中にネットを通じて流失する可能性のあること、そしてカンニングの方法が変化していることを示した。それにしても、試験をする側がこのようなIT時代を理解していなかったからこそ大きくなった事件だろう。管理する者はさまざまなITに触れて、ITの時代であることを認識するべきではないだろうか。今回の事件は、試験をする側がそのようなITの時代であることを理解していなかったことを証明している。エジプトの政権を倒すほどの力が、今はITにあるのだから。
楽天三木谷社長の、「ITを理解せよ。」という提言がのしかかる。ITを遠ざけるのではなく、積極的に取り込んで正しく使用していく方が重要であると思う。ITの正しい使用法の教育と理解は、ますます必要になる。
この受験生は、入学試験とインターネットという問題を最初に示した功労者かもしれない。まだまだ人生は長い。お母さんに安心してもらうためにも、もう一度まっとうにチャレンジして、人生を築いていって欲しいと思う。

2011年2月27日(日)
帰国

帰国へ。セキュリティーを考え、早めに空港へ行く。空港に到着したら、日本へ帰国するという犬と出会う。2歳の大型犬で、とても人なつっこい。散歩とおしっこを済ませて、オリに入れられて貨物室へ。空港の人に伺うと、1便に一匹ほど、毎便のように犬の搭乗があるとのこと。長期滞在が終了して帰国の際に連れて行くとのことだが、初めての日本は犬にはどのように見えるだろうか。これから14時間、長いフライトだと犬に語りかける。
飛行機は風向きの関係からか東に向けて離陸し、久しぶりにシカゴの高層ビル群を見る。この高層ビル群は、たくさんの映画にも登場し、とても見応えがある。今度来るのは、いつになるかな。

2011年2月26日(土)
朝食は、CAFE des ARCHITECTES(建築、建築学、建築家)という名前のカフェへ。
その後、いつものFRANGO(ミント味のチョコレート)をお土産に買う。
夕食はDeep Dish Pizzaが食べたくなり、Gino's East Pizzeriaへ。席に着くまで30分ほど並ぶが、週末なので仕方ない。しかし、並んでまで入る甲斐がある。美味しいの一言。
2011年2月25日(金)
ロブスター

朝食は、懐かしのThe Original Pancake House。大きなパンケーキは、二人で一人分。オムレツも、強烈に大きい。
昼は、再度Midwinter Meetingに参加。昨日と違い、人が出ている。Greater New York よりも、活気があるように感じる。少しずつすべてが上向きなのか、それともシカゴのためなのか。
夕食は、SND先生、 NKMR先生、 MYTさん、 WKYMさんたちと、McCormick & Schmick's でロブスターをいただく。胃が疲れてきている。

2011年2月24日(木)
Midwinter Meeting 初日

Midwinter Meetingはまだ初日で、入場者も少なめ。米国の歯科界も、少しだけ不景気風か。
企業の各ブースには、Facebookの案内がある。Facebookの威力は、すごい。くるときの機内で見たせいか、とても身近に感じる。
夕食は、MYZK先生、FSJMさん、HRNさん、MCDさんらとWeber's Grill で楽しくご馳走になる。初めてのステーキやさんだったが、とても美味しく、また来たいと思う。その後、ピアノバー経由でホテルの自室で乾杯。夜遅くまで、ご苦労様でした。

2011年2月23日(水)
ソーシャル・ネットワーク

JAL10便(シカゴ行き)の機内で、「ソーシャル・ネットワーク」を見る。この映画は、SNSサイトのFacebookを創設したマーク・ザッカーバーグがFacebookを立ち上げるまでを描いたドラマ映画。本人はこの映画のストーリーを否定しているようだが、女の子に振られてその腹いせからFacebookが立ち上がってくるストーリーが興味深い。
当時立ち上げた頃、このFacebookがエジプトのムバラク大統領をも倒す力になってくることを誰も予想できなかったと思う。しかし、マーク・ザッカーバーグはTimeの今年の顔にも選ばれ、一躍時の人に。確かに、名前を出して交流するこのサイトは面白い。いろいろな場面で使える。ムバラク大統領をはじめとする中東諸国の指導者たちは、ITを知らず、ITの怖さを知らなかったのだろう。ITは、個人だけではなく、組織、会社、国家、などに大変に影響力があることの認識が必要。楽天三木谷社長が以前の日本経済新聞のインタビューで、「トップはすべてITを熟知せよ」という発言をされているが、まさしく的を得ていると思う。

朝にシカゴ到着後、すぐミーティングと講演を聴く。到着直後は、結構眠くなく疲れていない。夜は、The Signature Roomでシーフード。しかし天気が悪く、夜景が見えず。

2011年2月20日(月)
一日講演会
朝から一日の講演会。コーディネーターとして、進行役もこなしながら基調講演を行う。朝9時から夜8時までの仕事だったが、私なりには楽に仕事ができた。田上先生、宮崎先生、高橋先生、ありがとうございました。また、佐藤先生もありがとうございました。、
会場の品川Grand Hallは、素晴らしい設備を持っている。体育館みたいと思っていると、地下からテーブル付きのいすが出てきてしかも階段状になる。多目的ホールとして、使い勝手がよさそう。
2011年2月12日(土)
VAIO J

新規にVAIO Jを購入。intel i7は、さくさくと快適。新しい物は、何でも素晴らしい。古いVAIO Lは、テレビ用に使う予定。中身のデータ等の入れ替えに、Fさんに大変お世話になる。ありがとうございました。

ところで、facebookのお友達が3人に増える。このままだと、どんどんと増えそう。インターネット、ツイッター、facebookが中東の体制に影響している。一つの考え方を瞬く間に多くの人々が共有し、流れを作り、それがうねりとなっていく。ものすごく力を持っている。

2011年2月4日(金)
寒暖の差

一昨日から昨日まで山形県酒田市、今日から岡山市。寒暖の差が激しい。日本は広いと実感。
火山を見ても、自然の力には勝てない。

2011年1月29日(土)
アジアカップサッカー

深夜にもかかわらず、アジアカップサッカー決勝を最後まで見てしまった。日本は本当に強くなったのか、それとも運が良かったのか、まずは優勝おめでとう。興奮させてもらって、ありがとう。

2011年1月27日(木)
寒い冬

盛岡も、例年より雪が多くとても寒い。

2011年1月17日(月)
阪神大震災から16年

阪神大震災から16年。
朝日新聞夕刊11面に、「竹中工務店新人社員寮の1・17」というルポが掲載されている。深江竹友寮に住んでいた新人社員たちの命と向き合ったがんばりに、思わず涙。人それぞれの人生があるが、その中に人それぞれの出会いとふれあいがある。
いつ来るかわからない災害だけど、備えはできていない。

2011年1月10日(月)
成人の日

成人の日で休日。しかし、体調悪くのどが痛む。午後から、旅行の日程調整と飛行機便の予約。今年も、たくさん行くところあり。マイルをうまく使い、できるだけ安くいける方法を考える。

2011年1月9日(日)
風邪

のどが痛い。久しぶりに、風邪をひいた。連休のスキーをキャンセルする。会う予定の人には、迷惑をかける。
今年初めての夢を見る。森の中の迷路に迷い、出られない。何かを暗示している夢かもしれない。

2011年1月5日(水)
仕事始め

仕事始め。今年はどんな年になるのだろう。まだ初夢を見ず。
ある業界の情報誌から400字のコラムの原稿依頼。次のように書く。「日本全体から、生気が失われてきている。この大切な時期に、進むべき方向性が見えてこないし示されてもいない。様々な調査や格付けでも、日本の価値は下落している。たとえば「世界の高度人材から見た魅力ある国ランキング」で日本は42位となり、世界から相手にされないのではと思えるくらいに下落した。この現状をなんとしても打破しなければならないが、すでに立ち止まって考えている余裕はない。
日本の歯科界にも元気がないように感じる。我々の使命は、長寿健康社会を口腔を通していかに創造していくかである。その創造のためのロードマップがそれぞれの歯科医院で違っているが、それぞれの歯科医院のロードマップを通じたフィロソフィーを国民が選ぶ構図となっている。どのようなフィロソフィーが最適なのか、それぞれの歯科医院が足下を見つめ直す時期かもしれない。

2011年1月2日(日)
初スキー
初スキー。安比は、大雪の後遺症が残る。
2011年1月1日(土)
新年、あけましておめでとうございます。

新年、あけましておめでとうございます。
ますますのご健勝を、お祈りいたします。

年末年始は、大変な大雪。各地で大混乱。